社長も社員も、
会社と共に成長したい

Grow together with the company

大樹は、1988年創業の、主に抜型を製作する会社です。特に、OA機器、複合機などの内部部品用の精密抜型を得意とするほか、工業用シールの抜型も手がけます。高い技術による「大樹でなければ」という仕事は少なくありません。2022年に城南村田グループとなって以降、真空成形も事業の柱となり、新社長のもと、あらたな社風が育ちつつあります。 ローテクなものづくりに強みを持ちながら、事業承継に悩む会社を仲間に迎え入れてきた城南村田グループ。親会社の社員から立候補して社長に就任した浅井利晃が、自身について、そして大樹にかける思いを語ります。

聞き手・文:みつばち社 小林奈穂子

コミュニケーションデザインを専門とするふたりのユニット、みつばち社の1号。プランナー兼ライター。

Profile

有限会社大樹 
代表取締役社長浅井 利晃

埼玉県出身。2006年城南村田入社、配送や営業を経て社長に立候補。2022年にM&Aでグループ入りした大樹の社長に。社長就任に際し愛妻には、「あなたの人生だから、やりたいように」と、夢に向かうバンドマンへの励ましのような声をかけられる。将来の夢は所沢に住んで西武ライオンズのホーム試合をすべて観戦すること。ライオンズの魅力は「ベルーナドームに来ればわかる!」。

親会社からやってきた社長として

大樹が城南村田グループになって、そこの社長になられたわけですが、どんなお気持ちでしたか。

浅井社長未経験ですし、30年以上続いた会社を継ぐプレッシャーは大きかったです。社員のみんながついてきてくれるのか不安でした。でも、「やってみないとわからないことを考えても仕方がない、やれることをやろう」と気持ちを切り替えました。

同じ製造業でも中身は違いますが、社風の違いもありましたか。

浅井違いましたね。創業者である先代は、厳しくも愛情のある人で、やり方的には完全なるトップダウンでした。僕とはタイプが全然違います。

浅井さんは、違う。

浅井 僕は、強いリーダーシップでぐいぐい力で引っ張るのではなく、「一緒にやろう」という、協調タイプとでもいうのでしょうかね。そういう自分に自信があるわけではないのですが、無理するより、社員と目線を合わせられることを強みとして、一緒に成長していこうと。

特に若い世代には、共感を得られるのではないですか。

浅井そうだといいのですけど、しばらくは不安でしたね。少しずつ、自分が「こういう人間」だと知ってもらえるよう、気をつけて社員と接するようにしました。あちらにしてみれば、M&Aで親会社となったところから来たよそ者ですからね、不安だったのは僕だけではないはずです。

接し方に、どんな工夫をしましたか。

浅井まずは出退社のとき、挨拶する社員と何か一言でも話すようにしました。打ち解けてもらいたくて、徐々にタメ口を挟んだりして(笑)。仕事においては厳しさも必要だとは思いますが、始終ガチガチだと柔軟に考えられなくなりますよね。仕事をつくっていくためにも、力を抜くところは抜いてもらって、メリハリある職場にしたいんです。

打ち解けられましたか。

浅井 2〜3ヶ月後に、口ゲンカになった工場長から、「どうしようもない社長だったら辞めてますよ!」という言葉が出て、実はちょっと嬉しかったです。少しは認めてくれていたんだと感じました。あと、社内外に発信する「あさい通信」について、飲みの席で社員の一人に、「いまのじゃつまんないです」と言われたんですよ。それも嬉しかった。そういうことを言える相手になれたんだなって。

お聞きする限り、いい社長じゃないですか。

浅井 いやぁ、自分で合格点を出せるようなとこは、まだないですよ。少ない人数でやってますから僕も営業を兼ねていますけど、それだって、抜型業界への知識と経験不足から、的確な提案ができずに反省することしばしばで。社長としてなんて、本当に、まだまだです。

「ノストラダムスの大予言」に翻弄された過去も

城南村田の青沼社長には、かなり以前から「いずれ社員の中から、子会社を任せる人材を輩出したい」との意向があったそうですね。

浅井僕が城南村田に入社した2006年には、求人誌に「将来一緒に経営を担ってくれる人」とありましたからね。

浅井さんが第1号となったわけですが、当時から志していた?

浅井いえいえ、青沼の、そういう考えはいいなと感じていましたけど、僕自身はそこまでしっかり考えていませんでした。M&Aでは、設備も技術も、そして人も、元の会社ごと仲間になってもらえるので、ハードルの高さがまったく異なりますよね。双方にとって良い形を目指すことができます。

当時はまだ「城南村田」ではなく、前身の、「城南洋紙店」でしたね。

浅井そうでした。正直に話すと、社屋がきれいだったので「紙業界は儲かるんだな」と思ったのと、社長も若かったので、右腕になるチャンスがあるんじゃないかと期待したんですよね。あと、住んでいた自宅から近くて便利だし。

正直ですね(笑)。ご自身としては、特に将来的な展望はなかった。

浅井学生時代、ノストラダムスの「1999年に 地球滅亡」の大予言を真に受けてたんです。いまにしてみるとバカですし、当時つき合っていたいまの妻にも相当冷ややかに見られていましたが(笑)、人類は2000年を迎えることはないと大真面目に信じて、将来はないものとして、それまでの時間を好きなように生きないでどうする!と思っちゃったんですよね。

それはなかなか、突拍子もないですね(笑)。どのように、好きに生き始めたのですか。

浅井プロを目指すほど、スノーボードにハマっていたんですね。在学中から、冬休みはスキー場で住み込みのバイトをしては、スノボ三昧の生活を送っていました。結局ものにはならなかったんですが、そこにお客さんとして来たのが妻です。

それは十分、やった価値がありましたね。

浅井そうですね(笑)。地球は滅亡しないし、スノボで食べていくのも無理だと悟ったので、結婚するにしろ、まずはちゃんと働かないといけないとさすがに考えまして、それで入ったのが城南村田でした。

入社してからは頑張った。

浅井入ってみると、社内には番頭的な人もいるし、配送担当の僕と社長とは距離があって、右腕候補には程遠かったんです。イメージと違うからと、2年目にはもう、辞めようと思いました。

はぁ。

浅井辞めたいと言ったら、青沼に飲みに誘われたんです。そんなことは初めてだったので、緊張しました。でも、その飲みの席で青沼は、僕を引き止めるでも激励するわけでもなく、二人で、内容も忘れてしまうくらい他愛もない会話をしたんですよ。それが良くて、気持ちが変わったんです。辞めると言ったのはあれが最初で最後です。

辞めるのをやめて、頑張った。

浅井はい。その後、城南村田が別分野に進出したり事業を転換していく中で、責任ある仕事を任されることが多くなりました。結果が出せず挫折も味わいましたけど、期待して任せてもらえることそのものが嬉しかったんです。だから頑張りました。同じ年齢のライバルもいまして、競争心も働いたんだと思います。

良きライバル、ですか。

浅井あちらはライバル視なんてしてなかったでしょうね。青沼から、登用する社長1号は彼だと目されていたんですよ。それを知ったときは悔しくてね。悔しいんですけど、彼のことは尊敬していたので納得したし、納得したけど悔しかった。結局、あちらはずっと前に城南村田を辞めまして、実はいまでも飲みに行く仲です。

みんなで会社を良くしていきたい

浅井さんは、ほんとに正直ですね。ではその後いつ、社長に立候補したのですか。

浅井大樹の話が出る3〜4年くらい前でしょうかね。初めて青沼に伝えたとき、嬉しそうでした。

青沼社長も待っていたのかもしれませんね。現在、城南村田グループには、その青沼隆宏社長と、GUTSY TOYの青沼純子社長という二人の社長がいますが、浅井さんから見て、どんなお二人ですか。

浅井青沼隆宏は、考え方が独特でおもしろいんです。そして、いつも落ち着いてクールに見える反面、あったかいんですよね。そういうの、ツンデレっていうのともまた違うんですかね(笑)。僕は青沼の、そんなところが好きなんですよ。青沼純子は…純子さんは、クリエイティブで、僕らが思いもつかないような発想を持っているんです。夫である青沼隆宏も、かなり影響を受けていると感じます。実は彼女が、城南村田の骨なんじゃないかと。

おお。そして、お二人と長く一緒にやってこられた浅井さんは、“協調”タイプ。

浅井そうですね。

理想像みたいなのはありますか。

浅井余裕を持って、動じない自分でいたいです。いまは遊びがないといいますか、動じないよう頑張ってるのが見えてると思うんです。自然にそうでありたいです。

大樹で成し遂げたいのはどんなことでしょう。

浅井先代がつくったこの会社の、高い技術は財産です。いまは40〜50代が中心なので、若い人に入ってもらって後進を育てたいです。業績的にも準備が整いつつあります。あと、BtoBオンリーなのでBtoCにも進出したい。ただ、何よりいまいる人の待遇の向上が優先ですね。これは、僕が大樹に来て最初にみんなに伝えたことでもあります。そこを実現するために頑張るのが僕の役割だって。

数字の部分も、みなさんに伝えているのですか。

浅井はい、透明性をもってやっていきます。僕は役割として社長を任された身です。こんなことを言うのが正しいかどうかわかりませんが、社員は僕を、「雇われ社長なんだし」くらいの感覚で見てくれていいから、同じ船に乗る仲間として、会社が良くなるよう一緒に考えてほしいと思っています。